〜四日市の歌〜

四日市にまつわる曲を紹介していこうとおもいます。
もし、そういう歌がありましたら、お教えください。

「阿倉川には住めない」という曲が出来た!?
ぜひ、情報をお寄せください。→メール
塩浜音頭の歌詞が完成・・・


CDジャケット
四日市出身のMACKさんとトニーヒロタさんの唄う、四日市の唄。2011年8月4日発売。
「NaNaNa四日市」「こにゅうどうくん音頭」については、 こちら
じばさん三重などでも発売中。
紹介ページ(わが街四日市内)



●「きらら 〜星降る夜に〜」 アクアマリン
2002年

この曲は、四日市のコミュニティFM、 FMポートウェイブで土曜夜に放送している 「アストロウェイブ768」で、リスナーから 公募したフレーズを組み合わせて、一つの歌詞になったもので、 ところどころ、地名がこっそり入っている。 2003年1月から、番組テーマソングとして流れています。

きらら 〜星降る夜に〜
アクアマリン

小さなあくびを飲み込んだ君と
胸の高鳴り 分け合った夜

いつもの助手席に先客を見つけて
スネた君もかわいかった 吐息も白い夜

指定席の望遠鏡に ヤキモチ焼いても
「早く見せて」と 星の広場
急かすのはいつも君だった

この青い小さな地球(ほし)から 宇宙(そら)を見上げれば
すぐそこにほらキラキラ 輝くミルキーウェイ
スピカもベガもリゲルも 君に見せたくて
いつまでも君と夢を はるかな星に託してた

 

今でもふいに寂しさ感じるよ
この季節が巡ってくるたびに

凍える手をつなぎ 見上げた流星群
他愛のないすべてが 愛しかった夜

望遠鏡に映る光は 君の瞳のように
「早く行こう」と ミルクロード
あの日のように僕を急かす

今はもう一人で見る プラネタリウム
君も誰かと見たのかな 目の前に広がる菰野の山並み
この広い大きな宇宙(そら)を独り占めしたら
いつだって思い出せる 君の星座は今 どこかな

あの広い大きな宇宙(そら)から 地球(ここ)を見下ろせば
すぐそこにほら見えるよ あの日の笑顔も思い出も
あの夜の僕のトキメキは 今はないけれど
いつだって君の事は はるか遠くから見ているよ

 
いつだって思い出すよ キララ キララ 星降る夜に

星の広場、スピカ・ベガ・リゲル(旧四日市シネマホール)、ミルクロード、菰野などが 含まれています。題名も「きらら」は、きららみね(雲母峰)から来ています。 詳しくはこちら


●「富洲原には住めない」スヌーピー
1970年代 ?

この曲は、このホームページ上で、「富洲原の歌知りませんか?」といって 公開探索をしていたものです。 長谷川さんのご厚意で、そのテープを入手する事が出来ました。

富洲原には住めない
スヌーピー

私は今日まで耐えてきた富洲原で
田んぼや畑やくさはらばかりの富洲原で
スカイスクレーパーなんてない富洲原で
2階がないわらぶきだらけの富洲原で
だけどもうがまんできない田舎はいやだ
田んぼがなくてビルのある都会に住みたい
朝日町 長太ノ浦 大矢知 播磨に西坂部
朝日町 長太ノ浦 大矢知 播磨に西坂部
富洲原 富洲原 とみすはらー 富洲原 富洲原 とみすはらー

私は今日まで生きてきた富洲原で
娯楽設備は全然ない富洲原で
春の小川には鯨も泳ぐ富洲原で
近鉄線もたまに止まる富洲原で
だけどもうがまんできない田舎はいやだ
特急列車も止まる都会に行きたい
宇治山田 四日市 湯の山 中川 賢島

〜僕のおじいちゃんがまだ子供の頃
 富洲原は今とない小さな部落でした
 富田一色の港は毎日毎日日露戦争の話で
 沸き返っておったのです
 そんな富洲原が現在 村に変わるということを
 一体誰が想像できたでしょう
 今の富洲原は人の住む所じゃありません
 隣の村まで続くがたがた道 八風街道
 朝6時 富洲原駅に集まる人の数いつも4人
 うちのお母さんとそして行商のおばさん3人
 みんなもんぺをはいて
 こないかもしれない電車を待ってる
 まして今度 富洲原では小学校の分校と
 はまぎく保育園が廃校になるというではありませんか
 こんな富洲原に住んでいる僕
 かわいそうな僕
 お父さん お母さん そして産婆さん
 どうして僕を富洲原のような小さな部落に
 産んだのです?
 どうしてもっと大きな東京か大阪か
 長太ノ浦に産んでくれなかったんです?〜

明日の私は出て行くだろう 富洲原を
私が生まれて私が育った 富洲原を
とうちゃん かあちゃん じいちゃんがいる富洲原を
みいちゃん はあちゃん きくちゃんがいる富洲原を
とてもじゃないがこんな小さな部落にはいられない
故郷だけど富洲原を捨て都会に出ていこう
平田町 阿倉川 垂坂 富田に八王子
平田町 阿倉川 垂坂 富田に八王子
富洲原 富洲原 とみすはらー 富洲原 富洲原 とみすはらー

※聞いて書いたので、歌詞が間違えている部分もあるかもしれません

これは、2〜30年前に、四日市工業高校出身のグループだといわれる「スヌーピー」が、 自費制作で、コンサート会場で売っていたそうです。 北勢堂かどこかの市内レコード店では売ったような話もあります。 (「北の泉」という曲がA面で、この曲はB面だそうです)
この曲は5分15秒もある、多分当時としては長い曲だったでしょう。 「〜 〜」で囲まれている場所は、演歌のような、語りの部分です。
スヌーピーは、多分、アマチュアバンドであり、 情報によると、「25年前、長太浦に住む機械科の者が 当時、桑名ホーク連名に加入していて、この歌を歌っていた記憶があります。 数人のグループでした。」とのことです。だから、「長太ノ浦」ってよく出てくるんですね…。 また、メンバー情報では「メンバーは功ー好彦ー信之の3人で四日市工業でした」といただきました。
もっと詳しい情報が寄せられました!! 実はメンバーは、レコード制作のためだけに 集まった7人だったとのことです!
名前だけ書きますと、 幸二さん(ボーカル・フォークギター)、克己さん(リードギター)、(故)一成さん(ボーカル・ベース)、 紀さん(キーボード)、喜裕さん(ドラム)、好彦さん(ギター・ボーカル)、功さん(ギター・ボーカル)の 7人だそうです。 また、「富洲原には住めない」のオリジナルは「石榑峠の萬屋」(*)と いうグループの曲で、その曲を変曲したものをスヌーピーが収録したとのことです。 「石榑峠の萬屋」っていうのも、おもしろそう・・・(^^;;
歌詞に出ている「富洲原」とは、四日市市の最北部の地区で、 三重郡川越町と接しております。 この曲が作られた当時は、富洲原や、富田辺りは、四日市の副都心として、 人口がとても多い街でした。 また、歌詞にもあるように、鯨が、富洲原地区にきていたこともあったそうです。 今でも、富洲原には、近鉄の特急列車は止まりませんが。

▲実際に聞いてみよう!

どのような音楽だったのか、実際に聞いてみましょう。
この曲は著作権など、まったくわかりません。 一部を、ここで聞けるようにしますが、もし、問題がありましたら、 メールでご一報ください。

「とみすはらー」の部分 WAVファイル/14.08秒/110KB
2番の最初の部分 WAVファイル/42.96秒/335KB


【追加情報】
*「石榑峠の萬屋」は、めるへん堂の広瀬隆さん(現在、FM三重でも活躍中)も入っていたバンドで、 この「富洲原には住めない」は、広瀬隆さんの作詞作曲によるものだそうです。 上記の歌詞とは、正反対で、“都会すぎて住めない”ことを歌っています。 「事実のうた」と解説していますが、・・・本当かなぁ?(笑)
そのアルバム(LPレコード)は、1973年のGWに作成されたものです。

富洲原地区が実家の広瀬隆さんが、「富洲原には住めない、という曲をやりたいんや」という一言から 集まった3人組「石榑峠の萬屋」(いしぐれとうげのよろづや)。 メンバーは、大矢知直登さん(マイクロキャビン創始者)、人見成俊さんと、広瀬隆さん。
当時、18〜19歳の3人がレコード製作(MCY)、発売。

これがオリジナルです
富洲原には住めない
石榑峠の萬屋

私は今日まで耐えて来た富洲原で
田んぼや畑はぜんぜんない富洲原で
スカイスクレーパーだらけの富洲原で
高層ビルのたちならぶ富洲原で
だけどもう我慢できない都会はいやだ
ビルがなくて田んぼのある田舎に住みたい
伊勢朝日 八王子 大矢知 垂坂 西坂部
伊勢朝日 八王子 大矢知 垂坂 西坂部
富洲原 富洲原 とみすはらー 富洲原 富洲原 とみすはらー

私は今日まで生きてきた富洲原で
ボウリング場やパチンコ屋のある富洲原で
春の小川にはメダカもいない富洲原で
近鉄線の準急も止まる富洲原で
だけどもうがまんできない都会はいやだ
各駅しか止まらない田舎に住みたい
下深谷 川原町 海山道 千代崎 中菰野
下深谷 川原町 海山道 千代崎 中菰野

〜僕のおじいちゃんがまだ子供の頃
 富洲原は海辺の小さな漁村でした
 富田一色の港は毎日毎日大漁の知らせで
 沸き返っておったのです
 そんな富洲原が現在 工業や産業経済文化を代表する
 拠点となることを一体誰が想像できたでしょう
 今の富洲原は人の住む所じゃありません
 街を縦横に走る高速道路 八風街道
 朝8時 富洲原駅に集まる人その数およそ8000人
 みんな忙しそうな顔をして特急列車を待っている
 まるでジャスコのバーゲンセールのように
 お父さん お母さん そして産婆さん
 どうして僕を富洲原のような大きな街に
 産んだんです?
 どうしてもっと小さな大矢知か伊勢朝日に
 産んでくれなかったんです?〜

明日の私は出て行くだろう 富洲原を
私が生まれて私が育った 富洲原を
とうちゃん かあちゃん じいちゃんがいる富洲原を
たろちゃん ひろくん はらちゃんがいる富洲原を
とてもじゃないがこんな大きな都会にはいられない
故郷だけど富洲原を捨て田舎に引っ込もう
平田町 阿倉川 藤原 水沢 箕田に保々
平田町 阿倉川 藤原 水沢 箕田に保々
富洲原 富洲原 とみすはらー 富洲原 富洲原 とみすはらー

※聞いて書いたので、歌詞が間違えている部分もあるかもしれません

1972年8月21日に桑名の喫茶店で結成された3人。 4日後の三重県のポピュラーソングコンテストで2位に入り、 そこから人気を博します。
そしてファーストアルバムが、 73年5月3〜6日に収録、その中にこの 「富洲原には住めない」を含んだ10曲が収録されました。

Thanks:すわ公園交流館「歌声喫茶♪日曜2時」

四日市にまつわる民謡

  • 西条八十「四日市音頭」

  • 野口雨情「新伊勢音頭」

     これは両方とも四日市港のにぎわいを歌った曲です。そのころの 四日市港(昭和10年頃)は、羊毛輸入額で我が国港湾中首位に立 ち、岸壁に横付けされた巨船、荷役沖仕のかけ声に沸き立つ港の様子 が見られたそうです。

    Thanks:長谷川さん

    大四日市祭り音頭

    今は毎年8月にある大四日市祭り。この祭りを盛り上げる「大四日市祭り音頭」がある。 鯨船や、大入道、大名行列などの歌詞が出てくる。
    いまでは、「新大四日市祭り音頭」もでき、シンセサイザーによって始まる印象的なニューバージョンが できている。
    この新バージョンが聞けます。→ 大四日市まつり音頭ニューバージョン(MP3形式/3.19MB)
    制作 大四日市まつり実行委員会(アビオン株式会社様提供)


    「交響詩 四日市」作曲:山本直純/作詞:中井正義
    1985年

    四日市青年会議所制作
    初演:四日市青年会議所30周年記念事業として作曲者山本直純氏指揮、四日市交 響楽団と公募による交響詩四日市を歌う会のメンバーにて四日市市文化会館にて 公演。
    この模様はNHK TVにてド60分のドキュメンタリー番組として全国に放映され、 話題を呼んだ。この曲はその後も第9演奏会とか、各種コンサートにて演奏され ている。
    楽譜もオーケストラ用、吹奏楽用、ピアノソロ用が準備されており、CD、テープ 等も四日市市教育委員会、四日市市文化会館、四日市青年会議所に保管されてい る。なお著作権は四日市市にて管理されている。

    情報提供:北川様


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    M.Masahiro