四日市にまつわる曲を紹介していこうとおもいます。
もし、そういう歌がありましたら、お教えください。
「阿倉川には住めない」という曲が出来た!?
ぜひ、情報をお寄せください。→メール
塩浜音頭の歌詞が完成・・・
●「きらら 〜星降る夜に〜」 アクアマリン
2002年
この曲は、四日市のコミュニティFM、 FMポートウェイブで土曜夜に放送している 「アストロウェイブ768」で、リスナーから 公募したフレーズを組み合わせて、一つの歌詞になったもので、 ところどころ、地名がこっそり入っている。 2003年1月から、番組テーマソングとして流れています。
きらら 〜星降る夜に〜
アクアマリン
小さなあくびを飲み込んだ君と
いつもの助手席に先客を見つけて
指定席の望遠鏡に ヤキモチ焼いても
この青い小さな地球(ほし)から 宇宙(そら)を見上げれば
今でもふいに寂しさ感じるよ
凍える手をつなぎ 見上げた流星群
望遠鏡に映る光は 君の瞳のように
今はもう一人で見る プラネタリウム
あの広い大きな宇宙(そら)から 地球(ここ)を見下ろせば
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星の広場、スピカ・ベガ・リゲル(旧四日市シネマホール)、ミルクロード、菰野などが 含まれています。題名も「きらら」は、きららみね(雲母峰)から来ています。 詳しくはこちら
●「富洲原には住めない」スヌーピー
1970年代 ?
この曲は、このホームページ上で、「富洲原の歌知りませんか?」といって 公開探索をしていたものです。 長谷川さんのご厚意で、そのテープを入手する事が出来ました。
富洲原には住めない
スヌーピー
私は今日まで耐えてきた富洲原で
私は今日まで生きてきた富洲原で
〜僕のおじいちゃんがまだ子供の頃
明日の私は出て行くだろう 富洲原を ※聞いて書いたので、歌詞が間違えている部分もあるかもしれません |
これは、2〜30年前に、四日市工業高校出身のグループだといわれる「スヌーピー」が、
自費制作で、コンサート会場で売っていたそうです。
北勢堂かどこかの市内レコード店では売ったような話もあります。
(「北の泉」という曲がA面で、この曲はB面だそうです)
この曲は5分15秒もある、多分当時としては長い曲だったでしょう。
「〜 〜」で囲まれている場所は、演歌のような、語りの部分です。
スヌーピーは、多分、アマチュアバンドであり、
情報によると、「25年前、長太浦に住む機械科の者が
当時、桑名ホーク連名に加入していて、この歌を歌っていた記憶があります。
数人のグループでした。」とのことです。だから、「長太ノ浦」ってよく出てくるんですね…。
また、メンバー情報では「メンバーは功ー好彦ー信之の3人で四日市工業でした」といただきました。
もっと詳しい情報が寄せられました!!
実はメンバーは、レコード制作のためだけに
集まった7人だったとのことです!
名前だけ書きますと、
幸二さん(ボーカル・フォークギター)、克己さん(リードギター)、(故)一成さん(ボーカル・ベース)、
紀さん(キーボード)、喜裕さん(ドラム)、好彦さん(ギター・ボーカル)、功さん(ギター・ボーカル)の
7人だそうです。
また、「富洲原には住めない」のオリジナルは「石榑峠の萬屋」(*)と
いうグループの曲で、その曲を変曲したものをスヌーピーが収録したとのことです。
「石榑峠の萬屋」っていうのも、おもしろそう・・・(^^;;
歌詞に出ている「富洲原」とは、四日市市の最北部の地区で、
三重郡川越町と接しております。
この曲が作られた当時は、富洲原や、富田辺りは、四日市の副都心として、
人口がとても多い街でした。
また、歌詞にもあるように、鯨が、富洲原地区にきていたこともあったそうです。
今でも、富洲原には、近鉄の特急列車は止まりませんが。
▲実際に聞いてみよう!
どのような音楽だったのか、実際に聞いてみましょう。
この曲は著作権など、まったくわかりません。
一部を、ここで聞けるようにしますが、もし、問題がありましたら、
メールでご一報ください。
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富洲原地区が実家の広瀬隆さんが、「富洲原には住めない、という曲をやりたいんや」という一言から
集まった3人組「石榑峠の萬屋」(いしぐれとうげのよろづや)。
メンバーは、大矢知直登さん(マイクロキャビン創始者)、人見成俊さんと、広瀬隆さん。
当時、18〜19歳の3人がレコード製作(MCY)、発売。
これがオリジナルです
富洲原には住めない
石榑峠の萬屋
私は今日まで耐えて来た富洲原で
私は今日まで生きてきた富洲原で
〜僕のおじいちゃんがまだ子供の頃
明日の私は出て行くだろう 富洲原を ※聞いて書いたので、歌詞が間違えている部分もあるかもしれません |
1972年8月21日に桑名の喫茶店で結成された3人。
4日後の三重県のポピュラーソングコンテストで2位に入り、
そこから人気を博します。
そしてファーストアルバムが、
73年5月3〜6日に収録、その中にこの
「富洲原には住めない」を含んだ10曲が収録されました。
四日市にまつわる民謡
これは両方とも四日市港のにぎわいを歌った曲です。そのころの 四日市港(昭和10年頃)は、羊毛輸入額で我が国港湾中首位に立 ち、岸壁に横付けされた巨船、荷役沖仕のかけ声に沸き立つ港の様子 が見られたそうです。
大四日市祭り音頭
今は毎年8月にある大四日市祭り。この祭りを盛り上げる「大四日市祭り音頭」がある。
鯨船や、大入道、大名行列などの歌詞が出てくる。
いまでは、「新大四日市祭り音頭」もでき、シンセサイザーによって始まる印象的なニューバージョンが
できている。
この新バージョンが聞けます。→
大四日市まつり音頭ニューバージョン(MP3形式/3.19MB)
制作 大四日市まつり実行委員会(アビオン株式会社様提供)
「交響詩 四日市」作曲:山本直純/作詞:中井正義
1985年
四日市青年会議所制作
初演:四日市青年会議所30周年記念事業として作曲者山本直純氏指揮、四日市交
響楽団と公募による交響詩四日市を歌う会のメンバーにて四日市市文化会館にて
公演。
この模様はNHK TVにてド60分のドキュメンタリー番組として全国に放映され、
話題を呼んだ。この曲はその後も第9演奏会とか、各種コンサートにて演奏され
ている。
楽譜もオーケストラ用、吹奏楽用、ピアノソロ用が準備されており、CD、テープ
等も四日市市教育委員会、四日市市文化会館、四日市青年会議所に保管されてい
る。なお著作権は四日市市にて管理されている。