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→詳細紹介外ページ・四日市ドーム
冠山の茶ノ木原は、四日市史跡指定で、産業史跡としては、第1号だったのですが、
ここは、水沢地区で、日本でも3位の伊勢茶の生産地です。
その、発祥が、900年前半ごろ、この地で、お茶をはじめたからといわれています。
その1000年以上前のお茶が、大木となって、そこに現存しています。
そのころの、水沢の一乗寺(当時は浄林寺)の和尚さんが
空海(弘法大師)から唐(中国)からのお土産であるお茶をもらったことが始まりだそうです。
でも、そう簡単に続いたわけではありませんでしたが。
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→伊勢茶
この経塚公園には、いろんな史跡になるものがたくさんそろっています。
見たかんじ、普通の公園のように、遊具もあります。
なぜ、経塚(きょうづか)公園といわれているのかというと、
昔から、ここには古い寺がありました。
平安から室町時代には、経典を供養して、保存する塚があり、経塚といわれていました。
が、この近くの西徳寺(経塚公園から東へ数キロ)が織田の兵火によって焼失されてしまいました。
その時に、石に大般若経を書き、ひのきを植えたという言い伝えが残っており、
それが、今でも残っています。
四日市には、近鉄(近畿日本鉄道)、三岐鉄道、
JR東海(東海旅客鉄道)、伊勢鉄道の4つの鉄道があります。
その中で、この地区で、栄えているのが、「近鉄」といえます。
それを実証すべく、利用者数の違い、また、駅前の繁栄度も違います。
たとえば、近鉄四日市駅とJR四日市駅(1kmほど離れた場所にあります)の
駅前の違いからして、ぜんぜん違います。
近鉄四日市駅の駅前には、松坂屋や都ホテル、博物館や一番街、二番街、ジャスコ、
スターアイランドのほか、映画館やボーリング場、そして、飲食店もそろっています。
近鉄四日市駅自体にある、近鉄百貨店は、とても大きく、あらゆるファッションや、
日用品、本・CD屋、郵便局などもある。
しかし、JR四日市駅前には、片方しか出口がないし、その出口付近にあるのは、
東邦ガスかCTY、本町商店街くらいしか
目に付くものがありません・・・。
ということで、近鉄の各駅前は、いろいろな店が建ち並び、
とてもにぎわっております。
四日市駅前や、富田駅前は、いやというほど人が歩いております。
ただ昔に比べるとやはり駅前空洞化が進んでおり、
近鉄四日市駅から諏訪栄商店街をぬけた諏訪公園にある「こどもの家」を
「すわ公園交流館」として2003年リニューアルオープンさせ、
中心市街地活性化事業を行っている。
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→松坂屋・都ホテル・アムスクエア
→鉄道業
堂ヶ山町の神明社境内にある大クスは、四日市市内では最も大きなクスノキとして市の天然記念物に指定されたもの。
樹齢約800年余といわれ、大きさは地上約1.5mの高さでの幹の円周が7m30cmあり、
地上から約5mのところで南北に2分している。
ただ北側の幹に落雷したためにかれており、現在は高さ24mになっているが、それまでは樹高40m以上あったと
言われている。
枝張りは東西約37m、南北約25mある。
ちなみに、クスノキは四日市の市の木に指定されている。
鈴鹿との境の東名阪高速道路のすぐ横にあるこの幸福村は、
昔の庭園をイメージして造られており、いろんな名前の庭園が広がっています。
入場料がかかりますが、季節によっていろんな花を見る事ができます。
梅や桜なども見られます。
左の写真、ゴリラの顔に見えませんか?
顔の部分が濃い緑色になっていて、実際見ると、目や鼻の部分もちょっと分かる気がします。
あと、耳も出て、横の二つの山が、肩に見える・・・通称ゴリラ山です。
四日市の小中学校で自然教室に行くと水沢少年自然の家などから、
見る事ができるので、覚えている人も多いかもしれませんね。
ただし、現在では、木の変化・伐採などで、形が変わってしまい、
ゴリラの面影はあまり見られなくなってしまっている。
写真は、15年以上前のもの。
正式名称は雲母峰(きららみね)で、登山した方も多いのではないでしょうか?
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→水沢少年自然の家
四日市といえば、コンビナートといわれるほど有名になった、四日市の石油化学コンビナート。
公害を巻き起こしたことで有名なこのコンビナートは、市内の海岸部にあり、
今では、第1〜第3コンビナートがあります。
第1コンビナートは塩浜地区、第2コンビナートは午起地区、第3コンビナートは霞ケ浦の埋め立て地です。
原油を四日市港に運び、コンビナートで、灯油や、ガソリン、軽油などに分ける作業をします。
また、そのうち、ナフサ(分けた直後のガソリン)をエチレン・プロピレンにかえ、
プラスチックなどに変わっていく作業もしています。
この作業をするセンターが2つ四日市にあり、二つもあるのは、川崎と千葉と水島コンビナート(岡山)と
この四日市しかありません。
そのコンビナートが引き起こした日本四大公害のうちの一つ「四日市ぜんそく」は、
昭和34年のコンビナート操業開始から数年にして、煙から吐かれる黒煙による喘息症状が、
四日市の塩浜地区から始まり、小学校などには、空気清浄器が置かれたが、
増え続け、昭和48年頃には、1000人以上が、喘息患者と認められている。
42年の12月に、公害患者9人が起こした訴訟が47年に、原告側の勝訴となり
企業側では煙突を高くしたり、排煙脱硫装置によりイオン酸化物を取り除いて水蒸気のみを
煙突から出すなどの対策を行い、現在では、新たな喘息問題はなくなり、きれいな空気になった。
でも、やっぱ、コンビナートの近くは、におうけどね・・・。90年代までは、夏の暑い日にな
ると、「光化学スモッグ警報」のサイレンが鳴り響いて、外に出るなって言うのがありましたけ
ど・・・。外に出ると、目がちかちかしたりするから・・・。最近は、聞かなくなった、あの懐
かしのサイレン・・・!?(現在は、光化学スモッグ予報や光化学スモッグ注意報あたりまでの
発令でとどまっています)
また、今までに、何度か大火災を起こしている。爆発は2003年にも起こっている。あたりの
住宅では、大きな地響きとして響いていた・・・。
環境に打ち勝った街ということを掲げて、四日市市環境学習センターというのも本町プラザ4階に
できた。(そのセンター内に2005年1月に公害資料室オープン)
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→午起