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名勝・史跡・施設紹介
詳細紹介(や行)


ヤマトタケルノミコト

足洗池(三重の名前発祥地)(西坂部町/三重) 四日市市三重地区の西坂部町御館(みたち)に「足洗池」という、御館の公民館の敷地内にあって 、すっごく目立たない小さい小さい池があります。 足洗池は、今、こんなん・・・ 柵で仕切られていますが、1m四方くらいになっている小さな池です。 でもこの池には、とっても貴重な話しがのこっているのです。
ヤマトタケルノミコトが東北を平定し、伊吹山からの帰り、あまりに疲れ果てたヤマトタケルノミコトが、 その西坂部町の足洗池の横で座って、こんなことを言いました。 「吾足 三重にまがりなして いとど疲れたり」(わいの足は、三つに曲がってしまうほど、むっちゃ疲れたわ) っていうこと。 その三重からついたのが『三重』の地名。
杖衝坂(旧東海道)(采女町/内部) そこから、三重県四日市町になっていて、一度、四日市に県庁所在地が来た明治の頭に 県名を決めたために、「三重県」となった。 もし、ずっと津が県庁所在地だったら、「安濃津県 四日市市」になっていたかも!? だから、その西坂部の池の横でポロっといったヤマトタケルノミコトの一言から、 この三重県という名前が発生したと言うことである。
ヤマトタケルノミコトが弱って杖をついた坂 その後、采女町で「杖でもつかな登れんわ〜」っていうたから「杖衝(つえつき)坂」と言われるようになった 坂もあります。旧東海道で四日市市街地から鈴鹿に向かう1号線で内部川を越えた後の 右カーブの上り坂あたりの左側にあります(1号線からは見えません)。
そこ(坂の上)には、ヤマトタケルノミコトの血塚もあります。
杖衝坂の上にある塚 そしてその後、ヤマトタケルノミコトはすぐの鈴鹿市かさど(加佐登)町で、なくなられた。
そのあと、白鳥になって、奈良へ向かったといわれているが、 「白鳥になって飛んだ」「飛んだ」「とんだ」「富田」という地名は、ここから来ている。
飛鳥神社(富田一色町/富洲原) 鳥出神社(富田/富田) その富田には鳥出神社。その横の富田一色町には飛鳥神社。 どっちも鳥が出る、鳥が飛ぶ、、、と言うので、このヤマトタケルノミコトから来ているといわれている。


最近の記録的な大雪

1995年の冬季が一番ひどく、四日市の記録として 最高60cm(1995年12月24日)を記録し、豪雪地帯とまで言われるほどになった。 四日市は、北風が入ると、ちょうど養老山脈と鈴鹿山脈の間から雪雲が入ってきて 四日市で大量な雪を降らせることになる。 雪に埋もれた車。in湯ノ山(1995.12.25?) 95年までは、1年に1度、雪が積もるか積もらないかだったのに、 それ以降、毎年、大雪だ!というほどの積雪を記録するようになった。
95年の大雪はクリスマス寒波といわれ、東名阪はもちろん通行止め、 国道1号・23号は、渋滞120kmという記録的な渋滞を生み出した。 渋滞というより、停止。僕が、自転車で1号線を横断して、学校に行き、 休校のため、1時間後くらいに来た道を戻ったら、同じところにまだ同じトラックなどの車が 止まっていたほど。みんな、車で夜を明かしたりしていた。 電車もひどい状態で、動いたとしても、ダイヤなどなく、1時間に1本、急行や普通が走るという程度。 また、そのとき、NHKでは大雪のために24時間放送をしており、 ずっと夜中中、四日市の中心部の当時はまだあったロータリー(三滝通り×中央通り)をずっと 写しており、よーく見ていると、カメラに写る為か、ロータリーを何周もする車や、ロータリーの真中で ハザードを出して止まる車などいた。(
Youtubeリンク僕も車があったら、行っていたであろう。(^^;;
雪の重みでいろいろ壊れていた。とにかく、雪国だった。
2005年12月22日の大雪もひどい状態になった。


四郷資料館 (西日野町/四郷)
四郷資料館 四郷資料館は、旧四郷村役場の建物を使っている。現在、四日市市の四郷地区となっているが、 四郷地区には、いろいろな史跡がある 四郷地区にはたくさんの歴史的建造物もある。近くの室山町の旧亀山製糸工場も一つだけになっ たがその一つ。資料館横には案内看板が立っている。


四日市港 (千歳町など/中部)

四日市の発展は、四日市港があったからと言っても過言ではない。 四日市港の発展に一番貢献したのが、資材をなげうって整備した 稲葉三右衛門さんだといっても過言ではない。そんな四日市港である。
四日市港は、中京地区の玄関口としてとても重要な役割を果たしており、 伊勢湾で初の国際貿易港として指定され、 オーストラリアのシドニー港などが姉妹港となっている。 羊毛の積み出しは、当時国内第1位で、車の輸出も盛んだった。 しかし、四日市でペストが流行ったときに、四日市港に船が入らないようになり、名古屋港が 発達してしまったという経緯がある。(現在は羊毛も車も名古屋港に負けている)
四日市港ができたのは、1899年。稲葉三右衛門が私財を通しして、今まであった港をもっと掘って 整備したのがきっかけ。そこは、今も稲葉町・高砂町として向き合うように残っている。 稲葉翁記念公園が今はできている。 また、その旧港の対岸には、潮吹き防波堤という、どんな高波も抑えて そして堤防が崩れないように工夫してあるものがあり、100年経った今でも残っている。 (ただし、今それより沖合いに、埋め立てコンビナートができており、今はその役割を果たしていない) これは、港湾遺産として日本で第一号の指定を受けている。
今の四日市港は、それよりももうすこし南に移った(税関がある)が、 毎日のように、大きな貨物船が到着しているのが、ポートビルなどからも確認することができる。
『四日市港』は、千歳町だけではなく、霞ヶ浦埠頭や川越も含まれるため、 火力発電所出力日本一の港になっている。(川越火力発電所は日本一の発電量です)
現在の四日市の輸入は原油が一番、輸出は車が一番で、 2004年7月、名古屋港とともにスーパー中枢港に指定された。

●関係事物へのリンク
潮吹き防波堤


四日市の産業

四日市の産業といえば、伝統産業もたくさんある。
まず、なんといっても「万古焼(ばんこやき)」。瀬戸や常滑よりもネームバリューは低いものの、 万古焼の土鍋は日本一のシェアで、国内の90%が四日市のものといわれています。 ほかにも、伊勢茶、日永うちわなど昔から作られているものが、まだ受け継がれている。
そして、四日市から生み出された大企業は、結構多い。
東洋紡は、四日市紡績が合併しながらできた紡績会社。(最初は川島紡績) だから四日市に大きな東洋紡の工場が いくつもあった。
また、漁網の生産も盛んで、日本一を誇っていた。輸出も盛んだった。
そして、イオン(ジャスコ・マックスバリュなど)も、四日市にあった岡田屋呉服店(オカダ ヤ)が発展してできた会社。最近まで会長だった岡田卓也さんは、岡田屋呉服店の7代目社長だ った。現在は、その息子さんが社長をしている。もう一人の息子は、岡田克也(民主党党首にもなった)。
最初の岡田屋呉服店の位置(Mapfan)
そして、トランスシティー。この名前にはまだなれない人も多いかもしれないが、 旧四日市倉庫のことで、倉庫会社としてはそうとう大きな会社。四日市港が発達したために 四日市で倉庫業が発達したことが、ここからわかる。
その他、三岐鉄道や亀山製糸も四日市の資本家の出資から始まったものである。

●関係事物へのリンク
ばんこ焼き
鉄道業
四日市港


四日市の城跡

浜田城跡(鵜森公園内) 采女城跡(この山の上) 四日市の中心部、鵜森公園は、浜田城跡である。 1470年(室町時代)に、田原孫太郎景信の三男田原美作忠秀築いたものだが、 1575年の織田信長の家臣である滝川一益に攻められて、落城した。
第二名神高速の建設に伴う伊坂城跡の調査が進んでいます。 こちらも、滝川さんに攻められて廃城したといわれていたが、その後も使っていた形跡も見つかった。 また、城跡だけでなく、過信の屋敷跡も見つかったり(とても珍しい)、 土の城壁や見張り台、複雑に曲がりくねった道なども発見されている。
茂福城跡(富田) 他にも、采女城では里山保全を兼ねて保存が行われています。
また、暁高校や四日市南高校の場所も山城の跡になっています。
市内各地に城(砦)があったようです。


四日市・スポーツの活躍

四日市中央工業高校、高校サッカーで、優勝(同点優勝)。 小倉選手、中西選手(W杯出場)も、この時に活躍。
昭和30年夏には、四日市高校が、甲子園初出場で甲子園優勝!


四日市市立博物館 (安島/中部)

四日市市立博物館 1993年11月1日、駅前博物館としてオープン。 1階は、情報コーナーやミュージアムショップ(売店)、講座室が兼ねそろえてあり、 そこのロビーの机やいすで勉強する人も多い。 2・3階は、常設展(無料)で、地球誕生くらいからの四日市の様子がとてもわかりやすく順番に ならんでいる。やっぱり、「あけぼの象」の化石が、まっさきに目に入る。 その他、今はもうない四日市祭りでの山車などのミニチュアなども展示してある。 また、四日市出身の文豪、丹羽文雄記念室も併設されている。
そして4階は、特別展のフロアで、なにか特別展があると、ここで展示される。
そして5階は、プラネタリウム。広いドームで階段教室のような164席の座席。 背景に、四日市の夜景を見ながらの星空は、また親近感を覚える。 この博物館が所有する「きらら号」という天体望遠鏡を載せたトラックは、市内各地で天体観望会をしており 星空の出前をしてくれる。全国的に見ても大変稼働率が高い。太陽観望もしているときもある。

●関係事物へのリンク
近鉄の駅
四日市市立博物館のホームページ


四日市市文化会館 (安島/中部)

四日市駅西の発展のため(?)に昭和57年に開館。 第1〜4ホール、展示室棟のほか、会議室、練習室、レストランを備える、文化情報発信基地。 第1ホールでは1816人が収容できる大きなホールで、クラシックコンサートのほか、 ポップミュージックのコンサートも行なわれる。ラルクもコンサートしてたとか。
また、市民文化祭や市民展などの行事もここで行なわれる。 第1ホールの吹き抜けが、きれいである。

●関係事物へのリンク
四日市市文化会館のホームページ


四日市大学 (萱生町/八郷)

市内唯一の、四年制大学。
四日市大学 暁学園の大学部門。まだ1988年に開校したばかりの新設大学。 ずっと、経済学部だけで、文型大学のイメージが強いが、97年には、環境情報学部ができ、 2001年には総合政策学部ができて 総合大学となった。位置としては、東名阪自動車道の四日市東IC横。不便といえば不便で、 交通機関なら、富田駅から、三岐バスが出ている。三岐鉄道暁学園前駅からはけっこう遠い。
99年には、三重県としてはじめて、三重県を走る神宮大学駅伝(熱田〜伊勢)に出場した。

敷地内に、四日市看護医療大学が2007年4月に開学した。

●関係事物へのリンク
四日市大学のホームページ



わが街四日市